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東京地方裁判所 昭和36年(ヨ)2152号 判決

申請人 佐藤良吉

被申請人 学校法人青山学院

主文

本件申請を棄却する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

申請代理人は、

「申請人が被申請人の設置する青山学院初等部教諭及び青山学院大学非常勤講師の地位にあることを仮に定める。被申請人は申請人に対し金一万四、九一〇円を支払い、かつ、昭和三六年七月から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り金三万二、六二〇円ずつの金員を支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」

との判決を求め、

被申請代理人は、

主文と同旨の判決を求めた。

第二申請の理由

申請代理人は、

申請の理由として、次のように述べた。

一  被申請人は青山学院大学、青山学院女子短期大学、青山学院高等部、中等部、初等部及び幼稚園を設置している学校法人である。

二  申請人は、被申請人に、昭和二五年四月一日青山学院初等部教諭として期間の定めなく雇われ、次いで昭和二九年四月一日被申請人学院大学非常勤講師として期間は右教諭在職期間中一か年ごとに自動的に更新する約で委嘱されたものであるところ、被申請人から昭和三六年三月二七日に期間の定めのない休職処分(以下「本件休職」という。)を受け、同年六月二七日に至り「右休職期間は同月三〇日満了するものとし、同日限り解職する」旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)を受けた。

三  しかしながら、本件解雇は、次のいずれかの理由によつて無効である。

1  本件解雇にあたり、被申請人が前記のように昭和三六年六月末日休職期間満了とともに解雇すると表示したのは、休職処分の有効を前提としたものにほかならない。ところが、被申請人は、被申請人就業規則第一八条に定められた事由がなければ休職処分をすることができないのに、本件休職についてはこのような事由はない。また、理事会が期間を定めて命ずべきであるのにこれを定めていない。よつて本件休職は無効であり、従つて、その有効を前提とする本件解雇も無効である。仮に、被申請人が同就業規則第一三条を根拠として休職処分をすることができるとしても、そのためには被申請人理事会が当該職員の所属長から書面による意見を徴した上その旨の議決をすることが必要であるのに、本件休職は申請人の所属長である初等部長の意見も徴せず、理事会の議決も経ないで行われたものであるから無効である。

2  就業規則に解雇事由を定めた場合は、使用者が右事由による以外解雇を行い得ないことを定めたもの、換言すれば自ら解雇権をそのように制限したものと解すべきであるから、被申請人就業規則第二二条に「職員が左の各号の一に該当するときは解職又は免職する。」として解雇事由を列記しているのは、被申請人が職員を解雇し得る場合を限定したものと解すべきである。ところが申請人には右列記の如き解雇事由がないから、本件解雇は、前記就業規則第二二条該当の事由がないのにした解雇として無効である。

3  被申請人が解雇事由として挙げている申請人の非行は、作成名義人が真意に基いて作成したものでない投書に記載されている無根の事実であつて、単なる口実にすぎないのみならず、このような口実によつて被申請人が申請人を解雇するに至つたのは、脇屋初等教育部長の申請人に対するいわれのない反感に基づくものであるから、本件解雇は解雇権の濫用として無効である。

四  被申請人は申請人に対し昭和三六年四月一日以降新給与規定に基づき毎月二〇日かぎり月額金三万二、六二〇円を賃金として支払うべき定めであつたところ、被申請人は申請人に対し昭和三六年四月以降就労を拒否し、同月から同年六月までの三カ月の休職期間中毎月前記賃金の内金二万七、六五〇円宛を支払つただけで、その残額及び同年七月以降の賃金を支払わない。しかし、前記休職処分及び解雇が無効であることは上述のとおりであるから、被申請人は申請人に対し右残額三カ月分合計金一万四、九一〇円及び昭和三六年七月以降本案判決確定に至るまで毎月二〇日かぎり金三万二、六二〇円の賃金を支払うべき義務がある。

五  よつて、申請人は被申請人を被告として休職ならびに解職処分無効確認、賃金請求の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、他に収入のない労働者として老母を抱え、本案判決の確定を待つていてはそれまでの間に生活困窮に陥り著しい損害を蒙るおそれがぁるので本申請に及んだ。

第三申請理由に対する答弁および被申請人の主張

被申請代理人は、申請理由に対する答弁および主張として、次のように述べた。

一  申請の理由一記載の事実は認める。

二  同二記載の事実の中、被申請人が昭和二五年四月一日申請人を初等部教諭として雇入れたこと、その後申請人が大学部非常勤講師を勤めたこと、申請人に対し昭和三六年三月二七日休職処分に付する旨、また同年六月二七日同月末日かぎり解職する旨の各意思表示をしたこと、はいずれも認めるが、その余は否認する。なお、被申請人が申請人に大学部講師を委嘱した日時及び期間は、昭和二九年一〇月一日に同日以降同三〇年三月まで、昭和三一年一〇月一日に同日以降同三二年三月まで、昭和三二年一〇月一日に同日以降同三三年三月まで、昭和三三年八月一日に同日以降同年八月八日まで、昭和三四年一〇月一日に同日以降同三五年三月まで、昭和三五年一〇月一日に同日以降同三六年三月まで、である。

三  申請の理由三冒頭記載の主張は争う。

1  同三1記載の事実の中、被申請人が申請人に対する解雇の意思表示をするにあたり、「休職期間は昭和三六年六月末に満了し、休職期間満了とともに解雇する」旨表示したことは認めるが、被申請学院において休職処分を行い得る場合は、就業規則第一八条掲記の場合のみに限るものではない。その余の事実は争う。本件休職は就業規則第一八条によるものではなく、申請人に任意退職を考慮させるにつき、その考慮期間中児童を受持たせて一層の混乱を招くことを避けるために被申請学院従来の慣行に従い同規則第一三条に基づいて採られた人事決定の手続であり、脇屋初等部長の意見を徴した上理事会の議決を経て行われたものであるから被申請人就業規則に違反してはいない。

2  被申請人就業規則第二二条は、「職員が左の各号の一に該当するときは解職又は免職する。」と規定するけれども就業規則に解職又は免職し得る事由が定められた場合を常に解雇権行使の自己制限と解すべきではなく、被申請人就業規則もそう解すべきでないことは同条第一項第一ないし第六号の規定を検討することによつて明らかである。また、仮に同条を解雇権行使の自己制限と解すべきであるとしても、申請人の所為は右就業規則の第五〇条に定める懲戒に値する行為であるから、本件解雇権の行使が右就業規則に違反するとはいえない。

3  同三3記載の事実は否認する。

四  同四記載の事実の中被申請人が昭和三六年四月一日以降の新給与規定によれば申請人に対し毎月二〇日かぎり月額金三万二、六二〇円を賃金として支払うべき定めであつたところ、被申請人が申請人に対し同年四月以降同年六月までの休職期間中毎月金二万七、六五〇円の賃金を支払つただけであることは認めるが、その余の事実は争う。

五  同五記載の事実を争う。

六  被申請人設置の各学校は、いずれも「永久に基督教の信仰に基いて」教育を行うことを方針としている。そして、右各学校における教職員の総数は約五八〇名で、初等部すなわち小学校にあつては教員三五名、非常勤講師一名、職員四名である。なお、申請人は昭和二五年四月二四日青山学院教会で向坊牧師から洗礼を受けた者である。

七  申請人に対する解職理由の主要なものは次のとおりである。

1  礼拝に継続して出席しなかつたこと。

学校教育法施行規則は、小学校教育について私立学校においては道徳教育に代えて宗教教育を行うことを認め(同規則第二四条第一、第二項)、被申請人学院初等部にあつても、道徳教育を行なうかわりに、毎朝八時半から九時まで三〇分の礼拝を行なう等前述したキリスト教の信仰にもとづいて教育を行なつている。この礼拝は寄附行為第四条及び就業規則第二条にも綱領が示されており、また、被申請人学院初等部にとつては本質的に重要な教育課程であつて、それには全児童が出席するのはもとより初等部教員全員がその信仰の有無にかかわらず参加し、殊に学級担任の教師はその学級の生徒を引率して礼拝堂に入り、礼拝終了後各教室まで引率して行くことが義務づけられている。しかるに、学級担任であつた申請人は、昭和三四年頃から右礼拝に出席協力せず、当時の初等部長であつた小宮山伍助から昭和三四年四月頃以降同年末に至る間数回に亘り毎週開かれる職員会議において、特に指名はされないが礼拝に出席するよう勧告されたにかかわらず全く態度を改めなかつた。その後、昭和三五年一月一日からの脇屋義人現初等部長の時代に及んで申請人は初めのうちは比較的よく前記礼拝に出席していたが、昭和三五年二月頃から出席しなくなつたので、脇屋初等部長は同月下旬申請人の同僚であり親友である山本義秋に「申請人に礼拝に出席するよう話してもらいたい。」旨依頼し、右山本から注意したが、申請人は依然欠席を続けた。そこで、脇屋部長から昭和三五年四月及び五月の職員会の席上、「礼拝出席は初等部教員の義務である。」旨諭し出席するよう促したが申請人はなお前記礼拝に出席せず、特に、昭和三五年六月二二日後述するように右部長がNHKテレビ収録の件で注意して以来申請人は一切の学校礼拝に出席しなくなつた。しかし、同部長は更に申請人に対して、同年九月七日、昭和三六年一月一一日の二回、いずれも学期始めの職員会において礼拝に出席するように注意したが、申請人の態度は全く改まらなかつた。そこで、同部長は、同年一月二九日頃申請人を部長室に呼んで申請人に対し礼拝に出席するように、また、それが学校の方針なのだから、「どうしても出席しないならば、君と別れなければならないかも知れない。」とまで勧告し注意したが、申請人はこのような注意を受けた後も、休職処分になる同年三月末日まで一度も礼拝に出席しなかつた。

2  運営委員会における言動

被申請人学院初等部には部長の諮問機関として初等部運営の全般に亘つて企画、協議し、職員会議(初等部運営に関し協議するための初等部長の諮問機関であつて、初等部教職員全員によつて構成されている。)に資料を提供する目的で、部長、教頭、宗教主任、及び教職員の互選による任期一年の委員四名の計七名で構成する運営委員会が常置されている。申請人は昭和三三年四月から昭和三五年九月まで運営委員会の委員となつていたが、その席上、あるいは職員会議において申請人の意見に対し反対意見を述べる者があれば、あとでこれらの者を男女の別なく別室に呼び、一時間でも二時間でも申請人の意見がいれられるまで執ように食いさがり、時には威嚇的言辞を弄するので、次第に申請人の意見に反対意見を述べる者がなくなるような始末であつた。また、申請人は、部長、教頭らと意見が対立したような場合、「部長がそんな考えだからだめだ。」とか、「部長をやめたらどうか。」など、多数の面前で部長、教頭らを侮辱してはばからなかつた。

3  無届行事等について

イ 被申請人初等部では学校行事などを行う場合にはあらかじめ部長に届出てその許可を得ることになつていたが、申請人は、昭和三五年六月一日無断で自己の教室でテレビ録画の収録を行うことを計画し、同日そのため諸準備がされているのを知つた初等部長が職員朝会の席上、「行事を行う場合にはあらかじめ部長に届出で許可を受けてやつてもらいたい。」旨注意したところ、申請人は朝会終了後直ちに部長室に入り来り、「さきの朝会の言を取消せ。教頭に届出てある。」と抗議した。そこで同部長は、教頭にただしたところ、教頭が「私も知らなかつたが今行つて見ると机の上に半紙四半分位の紙片に走り書きしたものが置いてあつた。」というので、同部長において「そんなことでは届出と認めるわけにはいかない。」というと、申請人は「それではテレビは返しましようか。」とか、「部長はそんなことだから職員に信用がないんだ。とても二期選挙されない。折角部長室に立派なソフアを設備しても人気がないから誰も来るもんですか。」などと暴言をはいて部長を侮辱した。

ロ 昭和三五年六月二二日国鉄、都電スト及び日米安全保障条約反対デモ行進のため、通学に不便と危険を伴うので、臨時職員会の決定により被申請人学院初等部全校が休校中であつたにもかかわらず、申請人は当日、テレビ会社に担任児童の学習状況の録画を収録させる目的をもつて部長に無断で休校中の担任学級児童を登校せしめた。

4  履歴書の無断差し換え

被申請人学院では教職員を採用するときは必ず自筆の履歴書二通をとり、これを本部事務所と各部事務所(申請人の場合にあつては初等部事務所)にそれぞれ文書綴として保管していたが、申請人は、昭和三五年一二月頃初等部事務室に保管してあつた採用時の履歴書をほしいままに盗み出し、いつわりの新履歴書を持ち込んで差し換えた。

5  被申請人の教育方針と相容れない諸行為

申請人の教育方針はきわめて偏頗で、時間割にないにもかかわらず男子に野球をやらせ遊ばせておくかと思うと、二日も三日もテストばかりやるといつた具合でありまた授業中生徒の弁当を食べたり、忘れものをしたりガラスを破損したりした生徒に菓子を与えたりした。父兄会で父兄と面接の際父兄に対し、「自分の子供さえよければという考えなら、私がもつと子供を悪くしてやります。」とか、「帰れ、馬鹿。」などと放言する始末であつた。

6  暴行

申請人は、昭和三一年二月授業中の同僚丹沢洋子教諭を被申請人学院の大学第二号館屋上に呼び出してなぐりつけ、そのため同教諭はそのまま授業を放棄し、以後数日間欠席するのやむなきに至つた。

上述した申請人の諸行為は被申請人就業規則第五〇条第一号第三号第五一条第四号に該当することが明らかであつて、まさに懲戒免職にも値するものである。

第四被申請人の主張に対する申請人の認否ならびに反論

申請人代理人は、被申請人の主張に対し認否、反論して次のように述べた。

一  第三の六記載の事実は認める。

二  第三の七1記載の事実のうち、被申請人初等部において週五回朝午前八時半から九時まで礼拝を行ない、キリスト教の信仰にもとづく教育を行つていること、脇屋義人が昭和三五年一月被申請人初等部長となつたことは認めるが、その余(たゞし、学校教育法施行規則の内容は除く)は争う。殊に、昭和三六年一月二九日は日曜で休日にあたり、申請人はもとより脇屋部長も出校しておらず、同部長から申請人に対し被申請人主張の如き勧告のあつた事実はない。

三  第三の七2記載の事実のうち、被申請人初等部の運営委員会及び職員会議の各構成、権限等について被申請人の主張するところ、及び申請人が被申請人主張の期間運営委員であつたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

四  第三の七3イ記載の事実のうち、被申請人学院初等部で学校行事を行うにつきあらかじめ届出を要すること、初等部長が昭和三五年六月一日職員朝会の席上被申請人主張の注意をしたことはいずれも認めるが、申請人が被申請人主張のような暴言を吐いて初等部長を侮辱したことは否認する。申請人は同年五月三〇日、東京大学相良守次教授、東京外国語大学安倍北夫助教授がNHK教育テレビにおいて教師向け学習心理学講座の一部として同年六月四日モチベーシヨンのテーマで放送するについて同教授らから申請人の担任児童の教育における表情等を放送の素材として同年六月一日に撮影させてもらいたい旨の申出を受けた。そこで申請人は、同年五月三一日、脇屋初等部長が出張中であつたので、その代理者である打味栄教頭代理にこれを届出ようとしたが、同人も当時その席にいなかつたので、とりあえず紙片に右依頼を記載して諒解を求め、更に翌六月一日朝会前午前八時同人に右事情及び予定等を説明して諒解を得、職員室内の黒板にも掲示してもらつた。脇屋部長は同日朝出張以来始めて出勤してこれを知り、朝会の席上申請人が無断でこれを行つたと公言したものである。初等部において教育課程をどう具体化するかにつき届出は必要でないのみならず、仮に必要であるとしても右のような事実関係である以上無断とはいい得ない。

第三の七3ロ記載の事実のうち、昭和三五年六月二二日国鉄スト及び日米安全保障条約反対デモのため初等部全校当日の休校が決定されたことは認める。しかし、申請人はかねて前記安倍北夫助教授から同助教授が前記相良守次教授とともに同月二五日問題解決学習のテーマで放送するについて協力を依頼されていたが、当時脇屋初等部長が出張不在であつたので、同月二一日前記初等部全校の休校を決定した臨時職員会議において右依頼を受けた旨報告したところ、同会議は申請人担任児童学習状況をフイルムに収録することにつき諒承を与えたのみならず、同時に、右収録のため「申請人担任の学級に関するかぎり、同月二二日正午から午後三時まで、徒歩通学者及び電車通学者で是非登校を希望する児童は、いずれも父兄の同伴を条件に登校を許す」旨決定したものである。

五  第三の七4記載の事実のうち、申請人が被申請人初等部事務室から採用時の履歴書をほしいままに盗み出し、いつわりの新履歴書を持ち込んで差し換えた事実は争う。申請人は昭和三六年三月二九日休職通知を受けた後、午後三時頃初等部に行き、自己の履歴書を作成する必要から、その参考に初等部保管の履歴書を一時借り受けて写しをとつたが、なお必要があつて右履歴書を同日以来当時申請人担当の学級教室にある教師用ロツカーに保管している。また、申請人は昭和三六年二月頃タイプ印書の履歴書を関係書類に添付したことはあるが、それは主として申請人の研究経歴等を補足する目的でしたもので故意にいつわりの履歴書を持込む意図でしたものではない。

六  第三の七の5、6並びに七の末尾記載の事実はすべて争う。

なお、第七の4及び6記載の各解雇事由は、被申請人が本件解職以前申請人に対して一度も説明したことがなく、本件仮処分申請があつた後、解雇事由として新たに主張されるに至つたものである。

第五証拠〈省略〉

理由

一  当事者間の労働契約関係の発生

被申請人が青山学院大学、青山学院女子短期大学、青山学院高等部、中等部、初等部及び幼稚園を設置している学校法人であること及び申請人が昭和二五年四月一日被申請人に初等部教諭として期間を定めず雇われたことはいずれも当事者間に争いがなく、成立に争いのない疎甲第五五号証の一ないし五、申請人本人の供述を総合すれば、申請人は、おそくとも昭和三一年以降昭和三五年まで毎年四月一日に、それぞれ翌年三月末日までを期間として被申請人学院大学文学部教育学科講師をも被申請人から委嘱されたことを一応認めることができる。申請人は右期間につき、初等部教諭在職期間中一か年ごとに自動的に更新する約定であつた旨主張するけれども、右主張を肯認するに足りる疎明はない。

二  休職、解職及び支払われた賃金

昭和三六年四月以降、被申請人学院の新給与規定に従えば、被申請人は申請人に対し金額、支払方法とも申請人主張のとおり賃金を支払うべき定めであつたこと、被申請人が申請人に対し、申請人主張の各時期に、それぞれその主張のような休職処分及び解職の意思表示をしたこと並びに被申請人が申請人に対し昭和三六年四月以降同年六月まで毎月二万七、六五〇円の賃金を支払つただけであることは当事者間に争いがない。

三  本件休職及び解雇の効力

1  申請人は、「本件休職が被申請人就業規則第一八条、そうでないとしても、同規則第一三条に違反して無効であり、本件解雇もその前提とする本件休職が無効である以上これまた無効である。」と主張するから、先ずこの点について判断する。

いずれも成立に争いのない疎甲第三号証、疎乙第一号証によると、被申請人学院就業規則には、申請人の如き初等部教諭、大学兼任講師を含む職員一般に対し休職を命ずる場合に関し、同規則第一八条第一号に「事業の縮少により止むを得ず過剰人員を生じ配置転換のできないとき。一年を超えない期間」と、第二号に「刑事事件に関し起訴されたとき。理事会によつてその延長を認められない限り、一年を超えない期間。」と、第三号に「留学その他の事由により業務に服すことができないとき。理事会の決定した期間。」とそれぞれ規定する外何らの規定の存しないことが疎明される。従つて、被申請人学院における職員の休職処分は原則として同条各号によつて行わるべきものと一応認めなければならない。被申請人は、就業規則第一八条とは別に同第一三条に基き休職処分ができるものであつて本件休職処分は右第一三条に基くものであると主張するけれども、同条は単に「採用、免職、休職、俸給、賞与及び賞罰に関する人事決定の手続に関してこの就業規則に定めていない事項については当該職員の所属長の書面による意見を徴することを要する。」と規定するのみであつて、これを「当該職員の所属長の書面による意見を徴すれば、就業規則所定以外の種類の人事決定を行い得る」趣旨の規定と解することは到底できないから、被申請人の右主張は採用しない。

ところで本件休職処分は、疎甲第一号証によると、申請人が被申請学院の教師として不適任であることを理由として行われたものであることが疎明されるから、前記就業規則第一八条各号には該当しない。しかし、右のような理由により業務に服させることが適当でない場合においては、証人脇屋義人の証言(第一回)、右証言によつて成立を認める疎乙第九号証、証人小島貞彦の証言によると、従来直ちに解職することなく、任意退職の機会を与える趣旨で休職処分に付し、処分当時の本俸(基本給、勤続加俸、家族手当)のみを支給する取扱いの行われていたことが疎明されるので、被申請学院が「申請人は同学院教師として不適任であつて解職に値する」と判断し(この判断の正当であることは後記のとおりである)、任意退職に至るまでとりあえず申請人をその業務から排除するため休職を命じたのは、たとえ就業規則第一八条の要件を充たさなくても何ら違法とは認められない。それ故、本件休職処分が同条の要件を充たさない点において無効である旨の申請人の主張は採用し難い。なお、申請人は、本件休職処分は理事会の議決を経ていない点で無効であるとも主張するけれども、前顕疎乙第一号証の就業規則によつては、休職処分自体理事会の議決を経なければならないことを疎明するに十分ではなく、むしろ、成立に争いのない疎乙第二号証の寄付行為中理事会に関する諸規定(第一四条以下第一九条まで)及び前顕疎乙第一号証の就業規則中休職に関する諸規定(第一三条以下第二一条)を総合して考えれば、休職処分の手続として理事会の議決を経べきや否やについては寄付行為、就業規則等にも明規がない結果、就業規則第一三条(その内容は前記のとおり)に基き当該職員の所属長の意見を徴してこれを決し得べきものと解するのが相当であつて、しかも、前顕疎乙第九号証、成立に争いのない疎甲第一号証、証人脇屋義人(第一回)、小島貞彦の各証言を総合すれば、本件休職処分は昭和三六年三月上旬、当時申請人の所属する被申請人初等部の初等部長であつた脇屋義人の書面による意見を徴した上で被申請人学院理事長によつて行われたことを一応認めることができるから、本件休職処分が被申請人就業規則第一三条所定の手続に違反する点において無効であるという申請人の主張もまた失当であるといわなければならない。

以上の次第であるから、本件休職処分の無効を前提として本件解雇を無効であるとする申請人の主張はいずれもその前提において既に採用することができないものというべきである。

2  更に、申請人は、「本件解雇は被申請人就業規則第二二条所定の事由がないのにされたものであるから、同条による解雇権自己制限に違反して無効である。」と主張するけれども、前顕疎甲第三号証、疎乙第一号証によれば、被申請人就業規則中職員を解職、免職すべき場合を規定した第二二条第一項第二号には「休職期間が満期となつたとき」と規定されていることが疎明されるのみならず、本件解雇が前記休職処分につき休職期間を昭和三六年六月末日と定めた上、右期間満了時をもつて解職すべき意思を表示することによつて行われたものであることは当事者間に争いのないところであるから、右解雇は前記就業規則第二二条第二号該当の事由に基づくものというべきであつて、本件休職処分を無効と認むべき疎明がないこと前記のとおりである以上、本件解雇をもつて右規則第二二条違反とする申請人の主張は採用し難い。

3  最後に申請人は、本件解雇は申請人の存在しない非行ないし事実を口実として行われたものであるから権利のらん用であつて無効であると主張するので、この点について判断する。

イ  被申請人が前記各私立学校を設置する学校法人であり、永久に基督教の信仰に基いて教育を行うことをその方針としていること、被申請人学院の教職員の総数が約五八〇名で、そのうち初等部に所属するものが教員三五名、非常勤講師一名、職員四名であることはいずれも当事者間に争いがない。

そして、被申請人学院初等部においては、すくなくとも毎週五回朝八時半から九時まで礼拝を行うことによつて前記方針に基づく教育がなされていることは申請人の争わないところであり、前顕疎甲第三号証、疎乙第一号証、成立に争いのない疎乙第二号証、証人及川道子の証言の一部、証人本村泰、小宮山伍助、脇屋義人(第一、二回)、打味栄(第一回)、伊藤朗の各証言及び申請人本人の供述の一部を総合すれば次の事実を一応認めることができる。すなわち、(1)被申請人学院の寄付行為には「第一章総則」の章下に前記教育方針が「青山学院の教育は永久に基督教の信仰に基いて、行われなければならない。」(第四条)と明定せられ、また、昭和三二年二月一九日から成文化された被申請人就業規則にも「第一章総則」の章下に「本法人職員は基督教の精神に則りこの規則に遵い本学院設立の目的を達するように努力しなければならない。」(第二条)と明定せられていること、(2)被申請人学院初等部においては昭和二一年頃から昭和三八年三月まで毎週月曜日は一年生から六年生まで全学年が講堂において礼拝を行い、火曜日及び木曜日には一年生から三年生までの低学年が講堂において、他は各教室において、水曜日及び金曜日には四年生から六年生までの高学年が講堂において、他は各教室において、それぞれ礼拝を行つていたが、各級担任教諭は担任学級の講堂礼拝の当日、受持児童を引率して講堂に入り、児童とともに礼拝に参加してこれを監護すべく、各級担任以外の教職員も右礼拝に参加することと定められていたこと、(3)ところが申請人は昭和三四年六月頃から低学年学級担任者として月約一二回講堂礼拝に受持児童とともに参加すべきところ六回程度しか参加しないようになつたこと、(4)その後昭和三五年一月脇屋義人が初等部長となつたが(この点は当事者間に争いがない)、同年二月頃から申請人は講堂礼拝に受持児童とともに参加することを月に三、四回しかしないようになり、脇屋初等部長から同年四月頃、五月頃及び九月頃の三回にわたり、いずれも職員会議の席上、特に申請人の名は挙げなかつたが、「礼拝は被申請人学院建学の精神を具体化する重要なものであるから全員出席するように」と一般的注意を与えられたのにその態度をあらためないのみならず、かえつて同年六月頃以降はついにほとんど講堂礼拝に参加しないようにさえなつたこと、及びそのため昭和三六年一月初めには脇屋部長から、同じく職員会議の席上、特に申請人の氏名を挙げて講堂礼拝に参加するよう要請されたが、これに対して返答もせず、依然としてその態度をあらためなかつたので、遂に同年同月下旬脇屋初等部長から同部長室に呼寄せられ、「講堂礼拝に参加するようにしてもらいたい。引続き礼拝に参加しなければ四月になつたら君とはわかれなければならない。」旨解雇を暗示するような警告を受けるに至つたにもかかわらず、「やめさせるならやめさせてくれ。」と答えてこれを無視したこと、(5)昭和三四年以前被申請人学院初等部において講堂礼拝に参加しないことの多い教諭として申請人の外には高村教諭(体育担当で学級担任者ではない。)があつたが、昭和三五年以降は申請人以外なかつたこと。以上の事実が疎明される。証人及川道子の証言及び申請人本人の供述のうちこれに反する部分は採用することができず、ほかにこれをくつがえすだけの疎明はない。

ロ  そこで、申請人佐藤が受持児童とともに講堂礼拝に参加しなかつたことについてやむを得ない事由があつたか否かを考えるのに、

(1) いずれも成立に争いのない疎甲第六一、第六二号証、第七四、第七五号証、第四五号証の三、証人小宮山伍助の証言、ならびに申請人本人の供述の一部を総合すれば、申請人が昭和三四年六月一五日から同月二七日まで、同年一〇月一二日から同月二三日まで、昭和三五年六月一三日から同月二四日までいずれも被申請人学院初等部において実施せられた大学生教育実習について指導担当者の一人であつたことを一応認めることはできるが、申請人が礼拝当日午前八時三〇分以降も実習に必要な教材、印刷物等を当番実習学生とともに準備しなければならないことや学生の質疑に答えたりすることなどのため礼拝に参加することができなかつたという申請人本人の供述の一部は、証人打味栄の第二回証言ならびに弁論の全趣旨によつて成立を認める疎乙第一六号証、第二四号証の二、証人山田栄の証言によつて成立を認める疎乙第四五号証の一と対比すればたやすく採用し難く、ほかに前記教育実習指導担当の故に申請人の講堂礼拝不参加がやむを得なかつたことを疎明するに足りる資料はない。

(2) もつとも、成立に争いのない疎甲第六五、第六六号証、申請人本人の供述の一部、ならびにこれによつて成立を認める疎甲第二〇一、第二〇二号証によれば、申請人が昭和三四年六月下旬から同年七月上旬までの約一週間、火曜日及び木曜日各午前八時一〇分頃から午前一〇時二五分頃までの間被申請人学院初等部三二名の児童につきWisc知能検査を当時の被申請人初等部長小宮山伍助の命により実施したことが疎明される。成立に争いのない疎甲第六七号証及び申請人の供述の一部は採用せず、ほかに右疎明をくつがえすだけの証拠はない。従つて、申請人がこの期間講堂礼拝に参加できなかつたことは一応やむを得なかつたものというべきである。

(3) また、前顕疎甲第六七号証、成立に争いのない疎甲第七〇、第七四、第七五号証、第七六号証の一ないし四、申請人本人の供述を総合すれば、申請人は昭和三四年一一月九日から同月一一日までの三日間被申請人学院初等部二、三、四、五、六年生徒について午前九時から実施された知能及び学力テストの責任者としてその準備にあたつたことが疎明される。従つて、その間講堂礼拝に参加できなかつたことはこれまたやむを得なかつたものというべきである。

(4) 前顕疎乙第二号証成立に争いのない疎甲第八三、第八四号証、第七九号証の一、証人打味栄の第二回証言及び弁論の全趣旨によつて成立を認める疎乙第二五号証及び証人小宮山伍助の証言の一部と冒頭の争いのない事実とを総合すれば、申請人は、男女計四四三名の志願者につき昭和三四年一一月二四日から同月二六日までの三日間実施された被申請人学院初等部入学考査のうち知能検査の初等部責任者の一人として問題作成採点を担当した被申請人学院大学文学部教育学科職員との打合わせ連絡等に当つたことを一応認めることができるけれども、他面、前顕疎乙第二五号証によれば、右問題作成等のための打合わせは被申請人学院初等部長室において昼休み時間に行われ、作成された問題について初等部側担当者立会いの上、予備テストが二回午前八時三〇分頃から午後一時頃まで都内の保育園、幼稚園において行われたに過ぎないことが疎明されるから、申請人が右知能検査のため講堂礼拝に参加できなかつたとしても、それは右予備テストに立会つたときだけであり、その回数も多くて二回を越えなかつたことを窺うことができる。証人小宮山伍助の証言のうち前認定に反する部分は前顕疎乙第二号証に照らして採用し難くその他前認定を覆えすに足る証拠はない。

(5) 申請人本人の供述によれば、申請人が昭和三五年九月一三日、同月一五日、同月一九日の三回講堂礼拝の時間中運営委員としての進退を考慮しつつ被申請人学院本部の礼拝堂で時を過したことを一応認めることはできるが、このような考慮を行うことは必ずしも講堂礼拝の時間中に行わなければならないものではないから、講堂礼拝不参加を正当視させる事由とするに足りない。

(6) 成立に争いのない疎甲第八一、第四五号証の一ないし一二、第一〇九号証の一ないし三、第八〇、第六四、第八二号証、申請人本人の供述及びこれによつて成立を認める疎甲第二二〇号証によれば、申請人が昭和三五年一〇月一一、一二の両日に行われた被申請人学院初等部六年生知能検査、標準学力テスト、同年一一月、一、二及び四日行われた被申請人初等部四年生知能検査、実力テスト、同月二八日から三〇日まで行われた被申請人初等部入学考査の知能テストに関与し、昭和三五年四月以降昭和三六年三月にいたる学校暦を作成し、昭和三六年一月からは初等部児童生活調査表内容の調査に従事し、同年二月二〇、二一、二二日の三日間行われた初等部二年生、五年生等を対象とする知能、学力テストに関与したこと等を一応認めることができるけれども、申請人がこれらのことに関与ないし従事したため講堂礼拝に参加できなかつたことを疎明するに足りる資料はない。

(7) 申請人本人の供述中初等部の時間割が申請人に、火、木曜両日午前中の第一、第二時間を割当てていないのは、申請人が特別に割当てられた職務を講堂礼拝の時間から引続いて処理できるよう特に編成されたことによるものであるという部分は、証人山田茂の証言によつて成立を認める疎乙第四三号証に照らして採用し難い。また、申請人本人の供述、及びこれによつて成立を認める疎甲第六三号証によれば申請人が講堂礼拝に欠席する際同学年担任の教諭あるいは事務職員に受持児童の監護を依頼したことを窺えないではないが、それだけでは申請人の講堂礼拝不参加を正当視すべき事由とならないことはいうまでもない。

(8) 前記(1)の事実に前顕疎甲第四五号証の一〇、一一、成立に争いのない疎乙第一三号証及び申請人本人の供述を総合して考えると、申請人が昭和三六年一月一六日(火曜日)、同年二月二七日(月曜日)の外、(イ)昭和三四年六月一五日以降二七日までの間に三日、(ロ)同年一〇月一二日以降二三日までの間に二、三日、(ハ)昭和三五年六月一三日以降二四日までの間に数日、病気欠勤したことを一応認めることができる。してみれば、申請人が前記昭和三六年一月二七日、同年二月二七日の両日については講堂礼拝不参加の正当事由があるものというべきであるが、前記(イ)、(ロ)、(ハ)の病気欠勤の日が月曜日、火曜日または木曜日のいずれかに該当することの疎明はないから、これら各曜日の講堂礼拝に参加しない正当の事由があつたとはいい難い。

ハ  成立に争いのない疎甲第五号証の一、二、証人脇屋義人の第一回証言及びこれによつて成立を認める疎乙第九号証を前記休職処分にあたりその事由として表示されたところと総合すれば、被申請人が申請人を休職処分に付した上昭和三六年六月三〇日の右休職期間満了とともに解職したのは、申請人が講堂礼拝に参加しないことを主要な理由としてキリスト教主義の被申請人学院初等部教師に適しないと判断したことにもとづくものと一応認めることができる。

ところで、被申請学院の前記イのような教育方針並びにこれにもとづく教育課程としての礼拝実施は、被申請人学院初等部の如き私立小学校においては学校教育法施行規則第二四条第二項により容認されているところであるから、申請人ら同部勤務の教職員が一般に就業規則、校則、慣行等の命ずるところに従いこれに参加協力しなければならないのはむしろ当然であつて、申請人が自己の信仰その他の理由により右礼拝に参加しないことを正当視し得るような特段の事情はなんら疎明されていない(申請人が昭和二五年四月二四日青山学院教会で向坊牧師から受洗したキリスト教徒であることは当事者間に争いのないところである)。しかるに申請人が前記ロの(2)、(3)、(4)、(8)に述べたような少数の例外を除き、前記の如く長期にわたり正当の事由なくして講堂礼拝に参加せず、初等部長の再三にわたる注意や勧告にも応ずる色を見せなかつたのは、被申請人学院初等部の正当な傾向教育の基本方針に協力しないものであつて、被申請人がこれを理由として申請人を解職に値すると判断したのは何ら不当でなく、これがため同人を休職処分に付した上その休職期間の満了をまつて解雇することは、なんら解雇権の正当な行使の範囲を逸脱するものではない。しからば、被申請人主張のその他の解雇事由につき判断するまでもなく、本件解雇を解雇権のらん用として無効であるとする申請人の主張はこれを採用することができない。

四  次に、成立に争いのない疎甲第三、第二七四号証及び申請人本人の供述によれば、申請人は、本件休職処分当時である昭和三六年三月現在被申請人から初等部教育職員として毎月基本給二万五、一〇〇円、勤続加俸一、七〇〇円、家族手当五〇〇円、以上給与合計金二万七、三〇〇円の支払を受けていたことが疎明されるのみならず、前顕疎甲第五号証の二、証人小島貞彦の証言によれば、被申請人学院の職員に対して任意退職の機会を与えるためになされた休職処分の期間中処分当時の本俸を引続き支給する前記取扱例に従い、申請人にも昭和三六年六月までの休職期間中同年三月分と同額の給与を支払うこととされた事実を一応認めることができる。従つて休職期間中である同年四月以降同年六月までの賃金として被申請人から申請人に対して毎月支払われたことの当事者間に争いのない金額二万七、六五〇円が昭和三六年三月当時被申請人から申請人に対して支給されていた前記給与合計額を上廻ることは計数上明らかである。それゆえ、本件申請のうち、前記休職が無効であることを前提として昭和三六年四月一日以降の新給与規定によつて計算した給与と右現実の支給額との差額の仮払いを求める部分は、その前提において失当であるといわなければならない。

また、本件解雇が無効でないこと前記のとおりであつて、しかも右は申請人すなわち労働者の責に帰すべき事由に基づくものであること前記事実に照して明白であるから、本件解雇により申請人と被申請人との間の労働契約関係は昭和三六年六月三〇日限り終了したものというべきである。それゆえ、右労働契約が同年七月一日以降もなお存続することを前提として、申請人が被申請学院初等部教諭並びに同大学非常勤講師たる地位の保全ならびに同日以降の賃金の仮払いを求める申請部分もまた失当である。

五  よつて本件申請をすべて棄却することとし、申請費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川添利起 園部秀信 西村四郎)

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